Wabi Yoga

茶道宗徧流には、「Wabi Yoga」と呼ばれる体の使い方の習得を助けるプログラムがあります。中でも、肩甲骨の可動域を広げるエクササイズと、正座して腰を捻るエクササイズは点前の習得を大いに助けることが実感できました。

獨楽庵で稽古していて、なかなか身につけることができなかった「柄杓の扱い」が、Wabi Yogaをした後はスムーズにできることがわかりました。確かに、正座して腰を捻る、肩を捻るという動作は日常であまり見かけません。茶道、それも宗徧流独特の体の使い方です。

宗徧流では、柄杓で汲んだお湯を茶碗にあける時に、右肘が引けることを嫌います。肘を引かずに柄杓の湯を茶碗にあけるためには、肩と腰を捻る動作が不可欠なのです。さらに肩甲骨の可動域を最大限に生かし、釜から湯を汲むときに体を前に傾けない。これも宗徧流の特徴です。

その点前を身につけるためにWabi Yogaは避けて通れなかったのです。

能を舞います|2025年11月24日観世能楽堂

私ごと 来たる11月24日(振替休日)東京銀座「観世能楽堂」で開催されます、東京松響会(しょうきょうかい)にて、能 『猩々』のシテを勤めます。シテというのは能楽独特の言葉で、「主役」のような意味合いです。

「松響会」というのは、十四世林喜右衛門社中の素人会です。要は、アマチュアの発表会ですね。能楽には、素謡、仕舞、舞囃子と様々な演出形態がありますが、最も総合的なのが能です。能装束をつけ、曲によっては面(おもて)を付けて役柄に扮して舞います。

私がシテを勤める『猩々(しょうじょう)』は能として演じますので、装束をつけて面をつけて舞います。舞いといっても舞踊ではなく、シテを勤めることを舞うと表現します。

【猩々 あらすじ】
中国の揚子の里に、高風(こうふう)という大変親孝行の男が住んでいました。ある晩のこと、高風は、揚子の市でお酒を売れば、富み栄えることができるという夢を見ます。夢のお告げに従って、お酒の商売をしたところ、高風はだんだんとお金持ちになっていきました。

高風が店を出す市では、不思議なことがありました。いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、いくら酒を飲んでも顔色の変わることがありません。高風が不思議に思い、名を尋ねると海中に棲む猩々だと名乗りました。

その日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待っていました。そこへ赤い顔の猩々が現われます。猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。そして心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を贈った上で、酔いのままに臥します。それは高風の夢の中での出来事でしたが、酒壷はそのまま残り、高風の家は長く栄えたといいます。まことにめでたいことでした。

終盤の「酌めども尽きず 飲めども変わらぬ秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つ 足もとはよろよろと 酔いに臥したる枕の夢の 覚むると思えは泉はそのまま 尽きせぬ宿こそめでたけれ」という詞章が、一族の繁栄を寿ぐとして祝言の曲として親しまれています。酒好きの私としては他人事とは思えず、猩々に成りきって舞台を勤めたいと思っております。

東京林響会
日時 令和7年11月24日(振替休日) 午前9時30分開演 
    *私の出番は午後4時過ぎの予定です。
会場 観世能楽堂 東京銀座・ギンザシックス地下3階
入場料 無料、出入り自由

お近くにお出掛けのご用事がありましたら、是非ともお立ち寄りくださいませ。

茶室の力

茶室と和室を分ける決定的な違い。それは、空間が茶の湯にためにデザインされているかどうか。実際、床間を備えた和室は星の数ほどもあります。例えば同じ八畳の座敷でも、茶の湯のためにデザインされた茶室と和室は違うのです。違いは、茶道具を飾った時に鮮明になります。乱暴に言ってしまうと、茶室にはどんな茶道具を並べてもひとまず様になってしまうのです。ただの和室ではこうはいきません。

それは茶室というものは、数百年の間、茶の湯道具とインタラクトしてきた結果に他ならないと思います。茶室は茶の湯道具を引き立てるように、茶の湯道具は茶室で引き立つように。お互いにデザインされてきたのだと思います。

ですから、できる限り茶の湯は茶室でしたいと思います。そうでなければ、茶の湯の楽しさ、美しさは伝わなないのではないかと思うのです。西洋化が進む昨今。畳のない家も増えています。ですから茶の湯が日常でなくなっていることは否定しません。しかし、それだからこそ、現存している茶室を駆使して茶室で茶の湯をしたいのです。

こんな思いをnote.comに投稿しました。
https://note.com/souyuu/n/n0b52c173cac7?sub_rt=share_pw