Knowledge Navigator

生成AI話の続き。ChatGPTを使いこなしている様子を見て、すぐに頭に浮かんだのは”Knowledge Navigator”。Appleが1988に発表したコンセプトムービーである。

/https://youtu.be/yc8omdv-tBU?si=PExrtjjNdv4nceqO

大学教授らしき主人公が、母親の誕生日というパーソナルな要件をこなしつつ、大学でのプレゼンテーションの情報を集め、同僚の研究者とディスカッションしつつプレゼンテーションへの参加を依頼するというストーリーである。中心になっているのは、教授の机の上にある大型液晶を備えたデバイス。どうやら自然言語を理解できるらしい。また、教授の指示に従って情報を集めたり加工したりする。

情報を検索し、加工するのはまさに、今話題の生成AIである。しかし、どうやらこのコンセプトの中心は、残念ながら「情報」ではなくスケージューリングらしい。いわば、電子的なオーガナイザー。その証拠に、このコンセプトムービーの4年後にAppleがKnowledge NavigatorのリアルとしてアナウンスしたNewtonは、サブネームのMessage Pad、Personal Digital Assistance が暗示するように、メッセージ(メール)のやり取りとスケージューリング(カレンダー)が主要なアプリケーションである。2025年の現在、スマートフォンに標準で備わっている機能とも言える。Knowledge Navigatorの志の高さに比べて、手書きでできていたものを単にデジタルにしただけのNewtonは、大方の予想通り大失敗に終わった。

実はコンセプトムービーで重要だったのは、スケージュール管理ではなくて、情報を集めて加工する機能だったのだ。当時のAppleの経営陣は夢のまた夢として一笑に付し、無責任にムービーの賑わせとして加えたその機能こそ本質であったのだ。

スティープ・ジョブスは、1984年のMacintosh発表に際し、未来の技術を見過ごしたIBMの過ちをジョークを交え痛烈に揶揄して見せた。Appleも同様にAIの未来を見逃してしまったと言えるかもしれない。

ジョブスの名誉のために加えておくと、Knowledge Navigator当時のApple CEOは、ジョブスが三顧の礼を持ってPepci Coから迎え入れたジョン・スカリー。そのスカリーによりジョブスがAppleを追われてNeXTを立ち上げた時期である。つまり、ジョブス不在のApple。

生成AI

現代に生きるものとして、いつかは接点を持たねばならないと思いつつも、距離を置いていた生成AI(人工知能)。ChatGPTという名は聞いたことがあるが、まさか仕事の現場で。それも、最先端技術とは最もかけ離れていると思われがちな伝統の世界で使いこなされていることを目の当たりにして、脳みそを揺さぶられた。

考えてみれば、伝統の世界でも事務方がこなす仕事は他の業種と大差ない。人工知能によって効率も品質も上げられる余地はもちろんあるのである。生成AIというのは、例えば文章作成においては、文章力のあるなしに関わらず、とりあえず中央値くらいの品質の文章は条件さえ与えれば苦もなく作成してくれるようである。となると、人間の価値は、そこからいかに文章に魅力を与えるかということに尽きそうである。加えられる魅力とは何か。そこが問題のようである。と、今日のところは頭を整理ておこう。刺激が強すぎたようなので。

小唄のすすめ

小唄というと「お座敷小唄」や「ラバウル小唄」を思い浮かべる方も少なく無いと思いますが、今回の話はそういう「なんとか小唄」ではなく、あえて言えば「江戸小唄」です。三味線を伴う邦楽は、長唄が成立して以来、主に歌舞伎の舞台音楽として発展してきました。小唄はその末裔ですが、歌舞伎で使われることはなく、主に座敷を主戦場としてきました。なぜなら、「小」というがごとく短いからです。大半の小唄は2、3分の小曲です。

お座敷は、「粋(イキ)」を競う場所でもあります。粋は小さい、短い、細い・・・ことに現れます。大層なことを、そのまま大きく、長く、太く見せてしまうのは「野暮」です。その対局が「粋」なのです。小唄は短い作品ですが、邦楽の末裔らしく邦楽のあらゆるエッセンスが詰め込まれています。しかも、作詞・作曲者がきちんと残されている。ですから、師匠についてしっかりと稽古しなければなりません。私は先輩から「師匠から許しを得た小唄以外は唄ってはならない」と教わりました。実は、小唄は「大層」なのです。「小唄と端唄はどこが違うのですか?」とよく聞かれますが、ここが違うのです。

さらに、「小唄を習うメリットは?」と尋ねられます。好きだから習っている。というのが本音ですが、小唄を習う前の方々には、こういう説明も必要なのでしょう。あえて考えると ①お座敷でモテる ②邦楽の入り口 があります。①のモテる話は別の機会に。②の邦楽の入り口(現代的に言えばゲートウェイ)は意外と気づかないものです。

先にも書きましたが、小唄には邦楽のエッセンスが散りばめられています。長唄、清元、常磐津の有名な一節が入っていたり、現代的な歌詞であっても節(メロディー)が清元であったりということは多々あります。ですから、小唄を習うにつれて気に入った節回しがあったら、その原点をしらべてみることで、邦楽に深く親しむきっかけとなります。

「唄」ですから、自分の声で一人で唄わねばなりません。ここに抵抗がある方は、まずは三味線からはじめてみては如何でしょう。三味線の稽古といっても、想像はつかないですよね。参考までに、私の稽古風景をアップしておきます。

獨楽庵では、毎月第二、第四木曜日に小唄松峰派家元・松峰照師匠(画像左)に出稽古にきて頂いています。見学は随時受け付けています。気軽にどうぞ。