仕舞と点前

茶道はかれこれ25年、能(仕舞)は6年ほど稽古している。といっても、能は入門していらい舞台でのシテを課題に稽古してきたという変り種なので、本格的な仕舞の稽古は限られている。『橋弁慶』はほぼほぼチャンバラであるが、『鶴亀』では、かの素人泣かせの「楽」があるし、後半は舞もある。現在は、来年の舞台に向けて『猩々』のシテを稽古中である。『猩々』には中之舞がある。

ということで、入門して以来、初めて仕舞を稽古している訳であるが、そんな身でも薄々感じることがある(☜今頃気がついたのか!という声も聞こえるが) 仕舞は「形」の組み合わせなのだということ。実際に、いくつの「形」があるのかは知る由もないが、ともかく仕舞は「形」の組み合わせでできている。もちろん、曲ごとに特殊な「形」や変形はあるが。

そう思うと、お茶の点前も「形」の組み合わせで説明ができるのではないかという気がしてきた。確かに、宗徧流のお家元は常々、点前上達のコツは「割稽古」と仰っている。割稽古とは点前中の動きを取り出して徹底的に体に染み込ませる稽古方法である。これを突き詰めていけは、点前は「形」の組み合わせとして説明できるのではないかと思った次第。

例えば、薄茶点前はこのように表現できよう
①「一服差し上げます」の挨拶
② 両器の持ち方
③ 点前畳への進み方(歩き方+点前畳への入り方)
④ 両器の置き合わせ(座り方)
⑤ 立ち上がり、客付き回り(立ち方+客付き回り)
⑥ 水屋への進み方 (歩き方+水屋への入り方)
⑦ 建水、柄杓、蓋置の持ち方 云々・・・

遅まきながら、「形」を通じた仕舞と点前の共通点の考察でした。

B級能鑑賞法 その2

タイトルを見ていてはたと思った。このブログは、B級の能を鑑賞する方法ではない。能鑑賞方がB級であるということ。お間違えなく。

能の観続けていたある日、閃いた。能には「テンプレート」がある。それに気づいてからは、安心して能を鑑賞できるようになった。そのテンプレートとは次のようなものである。

まず、舞台にワキが登場する。時に、田舎の侍であったりすることもあるが、概ね僧侶である。大体は、⚪︎⚪︎を見たことがないので、思い切って旅にでることにしたらしい。⚪︎⚪︎は日本全国の名所であるが、半分くらいは都である。そして、ここが重要なのであるが、「急いで旅をしたので」予定よりも早く目的の地に到着してしまうのである。到着したところは、何故かいわく因縁のある場所であるのは、お決まり。旅人が休んでいると、橋掛から怪しい人が現れる。一人であることもあるし、ペアであることもある。

その“怪しい“人物は、旅人と話を始める。その地の因縁について。その“怪しい“人が、あまりに詳しいので不審に思った旅人が「あなたは誰?」と問うと、その怪しい人はスーッと消えてしまう。ここまでが前場。入れ違いに、その土地に住む人(アイ)が現れる。旅人が、「今、このような人にあったのだが・・・」と問いかけると、その土地に住む人は大抵「そのような人は知りません。“さりながら“このような話は聞いたことがあります」ともったいぶって話を始める。その内容が、実は先ほどの怪しい人物の素性につながるのである。こうして観客は、“怪しい人物“が何者かに気づくことができる。土地の物が去ると、後場。

橋掛から“怪しい“人物の本性が現れる。大抵は、何らかの因縁によって成仏できない霊である。そして、その霊は、なぜ自分が成仏できないのかを語る(舞う)。そして旅の人(大抵は僧侶)は回向を捧げ“怪しい人“は成仏して(満足して)引き上げる。めでたし、めでたし。

もちろん、能には他の形式もある。また、現在進行形で生きている人を主人公にしたものもある。しかし、概ね半分はこのテンプレートに則っていると思う。この「水戸黄門」的な安心感は、1時間半に及ぶ能を心安く観続けるために大いに役立っている。と、思うのはまさに「B級」たる所以であろう。

風の流れに身を任せ〜能楽事始め

趣味は?と聞かれれば「茶の湯」、「能」、「小唄」と答えざるを得ない。30代で起業し、56歳でリタイア。何やら若い頃に目標を立てて一途に取り組んできたかのようなイメージを持たれるが、実際は異なる。否、全く逆。

「誘われたら断らない」をモットーに流れに身を任せてきた半生ではある。「能」もその一つ。すでに、青山・鐡仙会で「鶴亀」、セルリアン能楽堂で「橋弁慶」のシテを勤めているの、さぞかし能好きなのかと思われるが、これも成り行き任せである。

そもそも、自分と能との接点はない。1、2回連れて行かれた記憶はあるが、「罰ゲーム」以外の何物でもなかったと、うっすらと記憶している。それが、ひょんなことから「謡」を習うことになり、入門したその1週間後、京都で行われた素人社中の素謡の会に、まさに右も左もわからないまま参加。「鶴亀」のシテをひたすら大声を張り上げて謡うというよりは「叫んだ」その夜、夕食会があり二次会は宮川町へ。ここで「何か」があった(ようである)。

記憶にあるには、自分にとって唯一の能との接点である、茶道宗徧流流祖 山田宗徧作の竹花入『黒塚』である。その話をしたことは覚えている。先生の反応は、「観世では「黒塚」言わんのですわ」だった。確かに、観世流だけは他流では「黒塚」と呼ぶ人食い鬼婆の曲を「安達原」と呼ぶ。そして、翌週の稽古。「小坂さん、ええのがありますわ」「鶴亀って言うんですけどね、ほぼ座ってるだけやし。どうですか?」 なんのことだかわからないうちに、「鶴亀」のシテをすることになってしまった。

それまで能とは無縁であったが、シテとして舞台に立つのであるから、少なくとも能の能楽堂の雰囲気は理解しておかなければならない。白洲正子は「能は千回見ればわかる」とおっしゃっているが、今から1000回が無理。それでも、一年に100曲は観ようと暇を見つけては能楽堂に足を運んだ。お陰で短期間のうちに、生意気に能を語るまでになった(笑)

写真は、きっかけになった山田宗徧作竹花入 銘「黒塚」