街はクリスマス。ひとりのんびりと歳暮のお客様をお迎えする準備をしています。
すると、庭に小さなお客様。狸?かと思ったら、丸々と太った猫でした。
街はクリスマス。ひとりのんびりと歳暮のお客様をお迎えする準備をしています。
すると、庭に小さなお客様。狸?かと思ったら、丸々と太った猫でした。
茶室に限らず、日本家屋には引き戸(左右に開く戸)があります。
茶会では、まず相客が集合する部屋=寄付きに通されます。日本家屋でしたらほとんどの場合入り口は引き戸でしょう。寄り付きから露地に出て、腰掛けに至るまでに中潜り呼ばれる小さな出入り口がある場合があります。ここも引き戸です。さらに、茶室に入る際に極小の入り口から身を屈めて入ることもあります。この入口を「潜り(くぐり)」あるいは「にじり口」と呼びます。ここも引き戸です。
引き戸には一つのルールがあります。もし、引き戸が指一本強開いていたら、それは「どうぞお入りください」というサインです。もし開いていなければ、開くまで待たなければなりません。この引き戸が僅かに開けられている状態を「手掛かり」と呼びます。
水屋でお客様が席入する気配を待っていても、いつまで立っても気配がない・・・こういう時は、ほとんどの場合、亭主側の粗相で引き戸の手掛かりを忘れていたことが原因なのですが(苦笑)
茶席初体験の方や初心者の方は、作法に拘らずに気持ちを楽にして、感性の感度を上げた方が楽しめるとお話ししています。
それでも、知っておいた方が良い作法はいくつかあります。写真の石は、「留石(とめいし)」あるいは「関守石(せきもりいし)」と呼ばれるもので、座りの良さそうな石を縄で結んでいます。この石の意味は「通行禁止」です。露地(茶庭)には、幾つもの経路が設定されているものがあります。獨楽庵の露地もそうです。そのような場合に、お客様が経路を間違えたり、経路を見つけるのに苦労なさらないために置かれるのが留石です。留石が置いてある経路を避ければ、自ずと目的の場所に到達できるという仕組みです。
数週間前は木々の葉が色付き秋らしい風情を見せていましたが、葉も落ちきり松の枝も雪に備えて剪定され、すっかり様子が変わりました。冬を迎える獨楽庵です。
冬は寒いですが、寒さを補って余りある美しさがあります。陽が落ちるのが早い分、茶室の中は暗くなり蝋燭の灯が美しく映ります。炉の中の炭も一層美しく。なにしろ、釜の蓋を開けた時の湯気の白さが美しい。
そろそろ暖を取るための手炙りを準備しようと思いますが、寒さの中背筋を伸ばす気持ちよさも体験して頂きたいと思います。
12月の体験茶会、21日からの後半は今年一年を振り返りながら「歳暮」の趣向にしようと思います。
寄付は、仰木露堂の兎の画賛。卯年の歳暮もありますし、兎の餅つきは「豊年」につながります。獨楽庵を北鎌倉から移築し、庭を作り数寄屋を配したのは仰木露堂の弟子、日本建築家の藤井喜三郎です。新しい命を吹き込まれた藤井の作品。仰木の目にはどう映るのでしょうか。
個人的には、今年はなんと言っても「橋弁慶」です。2年間の稽古の成果を渋谷・セルリアン能楽堂で披露することができました。橋弁慶は観世初心謡本では、「鶴亀」につぐ2番目ですが、謡と能では難しさは段違い。装束をつけて、謡ながら長刀を振り回すのは体幹が必要です。50分という短い曲ながら、橋弁慶にはしっかりと前シテ、後シテがあり中入りの間狂言中に衣装替えもあります。見所にいるとあれだけ長く感じられた間狂言が一瞬に感じました。衣装替えして糸で固定して出来上がったと思ったら、謡を復習する余裕さえなく橋掛に「射出」されました。そんな精神状態でもなんとか乗り切れたのは「お囃子」と「地謡」の存在。真っ白な頭でも自然に体が動いていました。能、弁慶関係の道具を見つけて使いたいと思います。
お軸は何にしますか。一人で茶室に在し、炉に火をくべ湯を沸かし客を待つ。省略することなく、愚直にやるべきことをやる。仏の修行もそうなのかもしれないと思いました。仏の修行を怠ることを「退転」というそうです。「退転」しないから「不退転」。