今日の獨楽庵 – 2024年12月11日

唐津で開催された宗徧流義士茶会から帰宅して、義士茶会モードになっています(笑)
今日は会員様とお連れ様、三名のお客様をお迎えしました。

寄付(ソファ席)に大石内蔵助の達磨図(印刷)。楓の間の床には、流祖・山田宗徧像。ここでも何回か書きましたが、山田宗徧は吉良家、赤穂浪士の双方に関わりがありました。獨楽庵の床には、桂籠(桂川籠)に白玉椿。

懐石は、スズキの昆布締め、蓮根団子の椀物、鰤の幽庵焼き。汁は、焼き豆腐と生湯葉。独楽庵では、茶入は古瀬戸累座。薄茶盛は、春慶塗面桶。主茶碗に鈴木五郎の志野。替は伊羅保、楽山焼(空入)、履目(那波鳳翔)。茶杓は成瀬宗巨作 銘「蘆田鶴」。蘆に足が隠れた鶴のように、切りどめ寄りの節。

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師走の趣向

このところ、数回にわたって宗徧流の義士茶会について書きました。14日が近づくとどうしても討入のことが気になってしまいます。習性ですね(笑)

義士茶会の趣向というと、まず外せないのが「桂籠」。一般には桂川籠と呼ばれる利休によって見出された桂川の漁師が使っていた籠です。本懐を果たした赤穂浪士が、吉良邸にあった桂籠を白布に包み首に見立てて凱旋したという話によります。利休伝来の桂籠は宗旦かた宗徧に渡り討入と遭遇しました。この籠は現在、香雪美術館が所持しています。この桂籠に入れるのは白玉椿。瑤泉院が贈られた白玉椿を見て義士達の切腹を悟り安堵したという話に由来しています。

宗家での義士茶会では、席入りの合図は「山鹿流陣太鼓」でした。軸は大徳寺祥山和尚筆の「聴雪」が定番。茶杓は、大高源吾(子葉)作の「節なき」。吉良家江戸家老の小林平八郎が所持していた茶入れ「山桜」が出されたこともありました。

その他、点心は蕎麦。夜泣き蕎麦屋に扮して吉良邸を探っていた杉野次房にちなんでとも、討ち入り前に皆で蕎麦を食べたとも言われています。細かいところでは、輪炭を使った蓋置。吉良公が炭小屋に潜んだからとのこと。大高源吾と宝井其角の両国橋での邂逅から、「宝船」。菓子は、赤穂の塩饅頭・・・などなど。

全ては出来ませんが、12月はできるだけ義士茶会(忠臣蔵)の趣向を取り入れたいと思っています。

茶道宗徧流義士茶会

今日(12月8日)は、茶道宗徧流の義士茶会です。今年は、九州・唐津で開催されました。唐津藩主・小笠原家の菩提寺であ近松寺で吉良、浅野両家の菩提をともらうための法要に続いて、濃茶席。唐津焼の本場らしく大ぶりな古唐津耳付の水壺、奥高麗の茶碗が目を引く。床には利休の炭の文。当時の炭の貴重さが読み取れる。

続いて薄茶席(未来席)は、近松寺で子供の頃から稽古を続けてきた大学生、高校生たちだけの運営。若々しい道具は、濃茶席と対称的でほっとさせる。続いて、旧大島邸に移動して力囲席(立礼席)は、新調の力囲棚で、席主の鹿児島支部らしく薩摩つくし。種子島焼きは焼締だとおもうが、野趣に富み見所が多い。点心を頂いて、バスでホテルに帰還。

夕方6時からはホテルで懇親会。200名程が円卓を囲む。打ち合わせでは、開会宣言、理事長挨拶に続き、観世流の同好3名で祝儀として仕舞「鶴亀」を。私は、シテを勤めます。地元の銘酒で鏡割りをして乾杯。いい酒が飲めるかどうかは、「鶴亀」の出来次第。

いい酒が飲めますように。