日常の茶

一般社団法人 獨楽庵が活動を開始して以来、試行錯誤を繰り返しながら、現在は「獨楽庵茶会」を中心にとした運営に落ち着いています。獨楽庵茶会とは、獨楽庵友の会の会員様をお客様に、一汁三菜の侘び仕立て懐石による「小茶事」です。「小」と加えているのは、今日の標準的な茶事と比較すると、「亭主迎付け」、「炭点前」が省略されていることによります。初座の懐石も、預鉢、強肴、八寸、千鳥の盃などを廃止、飯、汁、向付、煮物椀、焼物、香の物、湯桶によるミニマルな侘び仕立てにしています。これは、亭主の力量ということもありますが、懐石は小腹を満たす程度にし、後座の御茶に重きを置きたいという思いも込めています。初座の懐石は広間で、後座は小間で行うため、必然的にお客様の面前での炭をつぐこと(炭点前)も必要なくなります。

このような構成だと、御茶に重きを置き、お客様との対話を楽しんでも三時間程度で終了します。古来、「茶事は二とき(4時間)を超えぬこと」と諌めされてきました。4時間を超えれば、朝会が4時間を超えれば、正午の茶事に差し障り、正午の茶事が4時間を超えれば夜咄に差し障るからです。

今日、茶の湯の現場は「ハレ」だけのものになってしまいました。「大寄せの茶会」にしても、「茶事」にしても、特別な事になっています。これに対して、獨楽庵では「日常の茶」を模索しています。獨楽庵風の小茶事である、「獨楽庵」茶会であれば亭主一人でも一日三席(朝茶、正午、夜咄あるいは飯後)開くことができます。しかし、一方で「ハレ」の席のように一つの席に向けて料理を吟味し、道具を選ぶことはできません。どうしても「日常感」は否めないと思います。そこを出発点として、茶会(茶事)を探求していきたいと考えております。よりよいものにするために、皆様のご指導、ご助言、大歓迎です。

今日の獨楽庵 – 2024年12月5日

今日は遠方からお二人のお客様をお招きしました。「珍客たりとも会席(懐石)は一汁三菜を超えるべからず」という紹鷗の言葉を盾に、今日も侘び仕立ての懐石。帆立貝柱と白魚の昆布締め、海老真薯、タラの幽庵焼き。菓子もいつもの通り、地元の旭苑製「山茶花」。

獨楽庵の太柱をお目当てにご来庵とのことで、茶席は獨楽庵で。茶入:鈍翁好大夫棗。品川東海寺、沢庵和尚遺愛の松をもって喜三郎に造らせたものの一つ。茶碗;愚朗井戸、立花大亀和尚銘「嵯峨」。替:楽山焼、空入。

自ら数寄の道に飛び込もうという正客につられて数寄話、というか落ちこぼれ茶人あるある話。お客様に恵まれ、今日もまた亭主冥利の一日。

今日の獨楽庵 – 2024年12月4日

今日から庭の植木の手入れが始まります。獨楽庵は10日までお休みを頂きます。

その間、亭主は宗徧流義士茶会参加のため、佐賀県唐津を訪ねます。小笠原家は、1817年から1871年の廃藩置県まで唐津藩主を勤めました。宗徧流・山田家は小笠原家の茶頭を勤めていましたので、小笠原家について唐津に移りました。五世宗俊、六世宗学、七世宗寿の時代です。そのため、唐津を中心とする九州北部はには宗徧流が根付きました。

今年の義士茶会が、いわば宗徧流の故郷の一つである唐津での開催です。唐津界隈には、唐津焼をはじめ高取、有田、伊万里など窯元が多く、それらを訪ねるのも茶人の楽しみの一つです。また、グルメでは呼子のイカも忘れられません。

小唄松峰流には『呼子の女』という曲があります。小唄の紹介は後日改めて。