今日の獨楽庵 – 2024年12月16日

今日は正会員様とお連れ様2名。三名のお客様をお迎えしました。

寄付には、大石内蔵助の達磨(NHKの頒布品、印刷です)。初座の床には宗徧流八世・宗有宗匠による流祖像。わざわざ「外学宗有謄」と書いていますので、本歌がありそれを写されたものでしょう。義士茶会の名残で、赤穂浪士討入に深く関わった流祖・山田宗徧像を掛けましたが、そこから話は脱線の連続。

山田宗徧は、『茶道要録』、『茶道便蒙抄』という二冊の本を書き残しています。今でいえば、茶道テキストです。しかし、今日のテキストが点前の順序に重きを置いているのに対して、宗徧の著作は、そに裏側にある精神を説いているように思えます。その一つは、「合理性」。宗徧は「理」のないことは徹底的に排除しているように思えます。

今日、床に掛けた山田宗徧像。柔和なお顔をなされていますが、著作を読んだ後では、そんなはずはない!と思わずにはいられないのです。

今日の獨楽庵 – 2024年12月15日

遠方からのご来庵を含め三名のお客様をお迎えしました。

鯛昆布締め、海老真薯、鮭幽庵焼き。酒は栃木の松の寿特別純米と山形の秀鳳純米大吟醸。どちらも、純米、純米大吟醸らしく好み。

茶席では古唐津の水壺を志野に変更。この志野は時代も箱書もないが力強い造形が志野らしくお気に入り。何処の世界でも、その世界の真ん中を力強く駆け抜けるものに惹かれる。

茶事終了後、獨楽庵の貸切について打ち合わせ。参加者の心に残る茶会でありますよう、亭主も全力でサポートします。お使いいただける道具もあります。釜、炉縁、風炉先など、大きい、重い道具はお気軽にご活用ください。

桂川籠

宗徧流では、12月は桂川籠を使う人が多いと思います。赤穂浪士討入にちなんで。

12月14日、吉良家では大事な茶会が催されていました(その情報を掴んで、赤穂浪士は討入の日を決めたと言われています)。その席には、宗旦から山田宗徧へ伝えられた利休伝来の桂籠がありました。討入を遂げた赤穂浪士は、追手を恐れ、吉良公の首は船で品川へ運び。桂川籠を白布で包み首に見立て、槍に刺して凱旋したと言います。

その故事にちなみ、この時期には桂川籠を使います。また、浅野家お取り潰しの後、実家に引き取られていた瑤泉院の元に白玉椿が届けられたことで、瑤泉院は四十七士に切腹の沙汰が下ったことを知り安堵したと言われます。その話にちなんで、桂川籠には白玉椿と教わりました。

この時期、宗徧流の席に入られて床に桂川籠を見つけたら、是非、討入の話を尋ねてください。待ってました!と延々と話し続けるはずです。