9月のカレンダー公開

を公開しました。9月になると、夏の間小休止していた茶の湯の活動が活発になります。獨楽庵亭主(小坂宗優)も多分に漏れず、外部のお茶会に参加します。茶会開催日に余裕がなく、ご迷惑をおかけします。

9月15日(日)は、江戸川区立行船公園にある源心庵(げんしんあん)で開催される『月見の会』で薄茶席(月の間)を担当します。このお茶会は、他にも薄茶席(遠州流)、立礼席(表千家)、野立(会主)の3席が開かれ合計4席の茶会です。お茶をなさっている方も、初心者・未経験者のかたも楽しめる茶会です。お茶券(3,500円)、ご希望の方は獨楽庵までお申し出ください。

その他、9月7日(土)は東京九段・靖国神社にて茶道宗徧流家元献茶式に、9月29日(日)は新潟長岡市・曹源寺の茶会を訪ねます。

話ついでに、10月24日(木)は鎌倉・建長寺の四つ頭茶会ですが、今年は宗徧流が添え釜を担当します。私も、そのうち一席で席主を務めます。詳しくは、獨楽庵までお問い合わせください。

夏の獨楽庵茶会

連日最高気温が30度を超えるようになりました。獨楽庵の小間茶室は日本建築の定石どおり「夏を旨とし」極力陽がささないように建てられてはいるものの、外気温があがってしまっては手も足も出ません。古の茶人は、気温が上がる前にお茶事をしてしまおうと、朝会とか暁茶事で夏場もお茶を続けてきました。

獨楽庵でも朝会、暁に挑戦してみようと思っています。とは言え、いきなりではお客様にご迷惑は必至。幾度かの「実験」を経て、会員の皆様にご案内しようとおもいます。もうひとつ、「夜咄」。「夜咄」は本来冬の夜に行うものです。浅はかな私は茶事の生き字引に「何故、夏でも出来るのに夜咄は冬なんですか?冬じゃ寒いし」と尋ねたことがあります。生き字引は一言、「やってみりゃ分かる。夏の夜に灯りを焚いたら虫がきてしょうがないじゃろ」と。我々が生きる令和の世にはエアコンという文明の力がある。窓を閉めてやれば虫は来ないだろう。そこで思った。だったら、正午の茶事だってできるだろうと。

というわけで、夏の獨楽庵茶会は8畳広間「楓の間」を使います。今までも一汁三菜は楓でお出ししていましたが、暑さが厳しい期間は濃茶・薄茶も楓でお出しすることにします。これまで獨楽庵茶会では、懐石の部屋とお茶をお出しする部屋を替えていましたので、茶事でいう「初炭」は意味がないため省略していましたが、夏の間は懐石(初座)と同じ部屋で濃茶・薄茶(後座)をお出しするので、炭つぎ(炭点前)をします。典型的な流れは、
【懐石(一汁三菜)】→【初炭】→【菓子】→【中立】→【後座入り】となるでしょう。短時間とはいえ、外の腰掛けでお待ちいただく時間が発生します。ご了承くださいませ。

丼茶会

筒井紘一著『利休の懐石』を読んでいて、ハタと膝を打った。元々、利休が実践し、紹鴎も『門弟への法度』のなかで「会席は珍客たりとも一汁三菜を過ぎぬべからず」としているのに対し、今日の懐石は一汁五菜どころか、八寸も千鳥の盃もついてくる。この差はどこに起因しているのか・・・というのが最初の好奇心であった。それに対する答えは概ね本書から読み取ることができる。

それ以上に収穫だったのは、本書の最終章「小林逸翁の丼茶会」である。著者の筒井紘一先生は、この逸翁の試みを、「現代の茶事の在り方の指針ともなるべき懐石」として紹介している。正確には、「北摂丼会」というが、懐石は丼程度で済まし、茶の趣向を楽しもうというものである。常々、今日の懐石が冗長かつ華美であると感じていた身には一つの光明に思えたのである。丼会の当番が、自身の新席披露にあたった南喜三郎の“発奮“した茶会には、「丼会の精神に反する」と苦言を呈したという逸話が披露されているところから考えてもこの会の趣旨は、質実であることと言ってもいいだろう。さらに、あえて加えるなら「手作り」。

向付で一献。続いて、創意のこもった手作りの丼で小腹を満たし、残りの時間は茶を楽しもうという茶会。何品も腕によりをかける必要もなく、丼なら自作は用意であろう。これで、十分。いや、より侘びの本質に近づけるのではないかとさえ思う。