11月24日の能舞台に向けて稽古も佳境に入っています。能面をつけての稽古では、極限られた視界の中で、いかに正確に舞うことができるか。これには2つの要素があります。一つは、正しい位置に移動することができるか。
もう一つは、限られた視界では限られた視野から自分の立ち位置を俯瞰的に把握しよと、能の情報処理能力が大量に消費されます。最近の乗用車はバードアイと言って自車両をバーチャルに俯瞰するシステムが備わっていますが、それを脳内でやっている感覚です。そのため舞に使われる処理能力が限定され、ポカが出たりします。どちらも視界が極めて限定されることに起因しています。鼻の先数センチにある直径2センチ程の穴が視界の全てです。ここからの景色に頼ることに起因しています。
だったら、「視界に頼らなければいいではないか」。幸いなことに、能舞台には4本の柱があります。これだけに集中して、自分の立ち位置を俯瞰することを放棄できないだろうか。舞もできれば、お囃子に乗せて自然と体が動くようになりたい。あと二週間と数日。どこまで視界を捨てられるか。どこまで舞を体に染み込ませることができるかが勝負です。
お茶の点前もそうです。茶の量、湯の量、お茶の練り具合から始まり点前の隅々まで、いかに視界に頼っていることか。家元で稽古をしていると、まず茶碗を覗き込まないことを徹底されます。そして割稽古。能の型の話を書きましたが、これは茶道の点前で言うと割稽古です。割稽古を徹底して体に染み込ませる。このことで、視界から自由になれるのではないと思うところです。ライトを消して、自然光だけの薄暗がりで稽古することの意義を発見しました。
