漫画|シテの花

偶然に知った能をテーマにした漫画『シテの花』(壱原ちぐさ)。人気ダンスボーカルチームの一員として活躍中の主人公は、ステージ上の自己で顔に火傷を負ってしまう。この事故が原因でダンサーを辞め一人の高校生に戻るが、ある時、祖母の遺品から能のチケットを発見。何気なく観にいった舞台は宝華流宗家の長男が舞う「清経」。主人公はこれに衝撃を受け能楽師の道を歩むのであるが、どうやら作品を貫く主題は「花」。世阿弥も説いている「花」。

少年漫画にしてはよくできていると思ったら、宝生流二十代宗家・宝生和英師が監修とのこと。

読み進めるのが楽しみ。

年初にあたり、伝統について考える

思うところあり、年初にあたり伝統(茶道もその一つです)について考えたことをnoteに投稿しました。

要は、「長く続き多くの人に愛されてきたものは、それだけで後世につなぐ意義がある」ということです。保守的と言われるかもしれません。そうです、私は保守主義者です。保守は守旧ではないと考えています。変化は必要です。しかし、破壊的な変化ではなく、少しずつ、ゆっくりと。注意深く、思慮深く、過去に対する畏敬の念を忘れずに。

まだ、未完成な投稿ですので、時々アップデートするかもしれません。

noteへのリンク https://note.com/souyuu/n/n1198d6f6b1e9

稽古に思う

茶の湯(茶道)、江戸小唄、能楽と3つの分野に生息しているわけであるが、茶の湯(茶道)以外は弟子として稽古をつけて頂いている。いわば呑気な身である。茶の湯(茶道)に関しては、家元より茶道教授の許しを頂いているし、実際に弟子の指導にあたっている。

そんな中で、師匠の指導方針、弟子の稽古に対する姿勢について考えるところがあったので年の瀬にまとめておきたい。

指導法については、大きく次の2通り。通しで稽古している最中に、問題があれば逐一ストップをかけて指導を入れるタイプ。とりあえず最後まで流して、その上で問題点を指摘するタイプ。最も、最後まで流して、弟子が尋ねなければ決して教えない師匠もいらっしゃる。

弟子を見ても、躓こうが間違えようがひとまずは最後まで到達しようとするタイプと、逐一確認しながら進めるタイプ。

これらに関しては、「ひとまず最後まで到達する」という意識が重要だと考えている。例えば、茶道の点前で、逐一確認しながら進めるタイプの弟子もいるが、これだと学習が遅くなると思う。間違えた所作には間違えたなりの論理があるはずだ。それなくしては、間違えを間違えとして認識し、改めることはできない。間違えようが躓こうが、ひとまず最後まで到達する意思が需要だということ。稽古に臨んだ時点で自分の身についているこことを師匠の前で披露し、それに対して指導を受けなければ、身に染みないと思うのです。途中で逐一確認していると、確かに「失敗」はしないが、それはただそれだけのこと。失敗があって初めて身につくと考えれば、失敗を避けていては上達はない。

来年は、その気持ちで稽古に臨もうと思う。