芸術としての書

獨楽庵では、2月18日(火)に名児耶 明先生をお招きして、講演会を開催します。大変失礼ながら、白状いたしますと、私これまでに名児耶先生の著作を手に取ったことがなく、これを機会に読み始めてみました。

一番の衝撃は書を芸術として捉えるアプローチ。これまで、書を見る機会はあっても、その書の一文字一文字、ましてや空間に目が行くことはありませんでした。頭でっかちな現代人は、どうしてもその内容、意味に注意が向いてしまいます。それは、あまりに活字に慣れてしまったからなのかもしれません。

名児耶先生は、「書は文字という記号を通して、作者の心、魂を紙面に表現できる最もシンプルな芸術」おっしゃいます。この視線は、明らかに欠けていました。茶席で一番大事なお軸を拝見しても、不埒な客は軸の読みと意味しか尋ねず、それに対する感想しか返しません。もっと書そのものを鑑賞する必要があるのではないか。その書から感じられる作者の心、魂について問答すべきではないのか。と、頭にガツンと一撃を受けた気がします。

ある時、松平不昧公の書を掛けていて、それをみた女性客は「丸文字みたい」と感想を述べられましたが、そこには書と真正面に向き合うことの片鱗があったのだと思います。

書に限らす、作者云々、来歴はそれはそれで茶席のご馳走ではありますが、もっと書は書、茶碗は茶碗として美を見出すことにも心を注ごうと思った、新春でありました。

名児耶先生の特別講演についてはこちら

松峰小唄『雪の南部坂』

赤穂浪士討入、忠臣蔵に関連した小唄がもうひとつありました。灯台下暗し。茂木幸子作詞、初代松峰照作曲『雪の南部坂』(昭和61年)です。

これも松峰派を代表す大曲(小唄の大曲というのも変ですが)で、題名のとおり忠臣蔵の名場面のひとつである「南部坂の別れ」を唄った作品です。

”降りしきる雪は巴の南部坂 寺坂一人共に連れ 今宵に迫る討入に 他ながらのいとまごい (セリフ)「おお、蔵之助か 久しゅう待ちかねました」 昔に変わる御姿 思わずはっと胸せまり言うに言われぬ苦しさに (セリフ)戸田殿 この袱紗包は絵巻物 御機嫌直りしその頃にきっと開いて御目ににかける様」 瑤泉院の御嘆き その御涙背に受けて 一夜明くれば喜びに変われと打ち込む山鹿流”

セリフが特徴の松峰小唄ですが、この曲は特に多く曲のおおよそ半分がセリフです。それはさておき、松の廊下の事件のあと、浅野家はお取り潰しに。内匠頭の妻、瑤泉院は実家にひきとられますが、その実家が南部坂です。討入の当日、最後の別れに瑤泉院を訪ねた蔵之助は、吉良家の忍びの者がいることを用心して、討入のことは頭にないふりをして暇乞いをします。それを見た瑤泉院は腹をたてますが、蔵之助はいいわけすることもなく袱紗包を置いて屋敷を後にします。この袱紗包みこそ四十七士の連判状でした。

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