小唄をひとことで言うと

「小唄」と聞くと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「月は朧に東山 霞む夜毎の篝火に・・・」と『祇園小唄』でしょうか、「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も・・・」の『お座敷小唄』でしょうか。はては、「さらばラバウルよまた来る日までは・・・」の『ラバウル小唄』でしょうか。

一般名詞としての「小唄」とは、文字通り「小さい」唄。つまり、短い・軽い歌という意味でしょう。ですが、このブログで再三書いている「小唄」とは違います。より正確には、「江戸小唄」というべきでしょうか。幕末に江戸で成立した三味線歌謡の一種で、江戸っ子に愛されたことからもわかるように、粋で洒脱な“小“唄です。

一般には、端唄から派生したと言われています。確かに、端唄と小唄には共通の楽曲があります。しかし、違いも多くあります。まず、同じ三味線で唄うといっても、端唄の三味線は撥を使って弾きますが、小唄は爪弾きです。三味線の節も、端唄はどちらかというと伴奏に近いのに対して、小唄は唄をあしらいつつも、唄を縫うように独特の節を奏でます。また、端唄がいわばストリートミュージックとして、流行歌が口傳で伝播したので誰が作ったか不明であるのに対して、小唄は作詞者、作曲者が特定されています。ですから、小唄が端唄から派生した説には首を傾げざるを得ません。

そこで、本題です。「小唄をひとことで言うと?」 実に難しい問題です。俗曲の柳家小菊師匠のCD『江戸のラヴソング』を拝借して、「江戸のラブソング」はどうかと思いましたが、ラブソングだけじゃないし、江戸時代に限定もしてないし・・・ なかなか答えは見つかりません。

鶴亀

人気のある能のひとつ。いにしえの中国の正月。月宮殿(げっきゅうでん)に皇帝(玄宗皇帝とも言われている)がお越しになる。不老門にて初春の日の輝きを仰ぎ見ると、万民が天にも響く祝賀の声をあげる。そんな中、大臣が進みいでて、「例年のように鶴と亀に舞をさせ、その後、月宮殿にで舞楽を奏上なさいませ」と進言する。鶴と亀が舞って皇帝の長寿を祝うと、皇帝も喜びみずから立って舞い始める。されに殿上人たちも舞って祝したあと、皇帝は御輿に乗って長生殿に還る。

このように、ひたすらめでたい曲であるので、祝賀に勤められることが多い。今年の茶道宗徧流義士茶会は、宗徧流の故郷のひとつ唐津での開催。企画側のメンバー三名で、御宗家の弥栄と流儀の繁栄を祝して仕舞を披露しようということになり、「鶴亀」を舞うことに。先輩二人が地謡、私がシテを舞うことに。

実は、『鶴亀』は能で舞台に立ったことがある。5年前、東京青山の鐡仙会能舞台であった。仕舞は能の一番盛り上がるところを切り出して紋付袴で舞うのであるから、当然できなけばならないのであるが・・・。これから本番まで特訓は続く。

「月宮殿の白衣の袂 月宮殿の白衣の袂の色々妙なる花の袖 秋は時雨の紅葉の羽袖 冬は冴えゆく雪の袂を翻す衣も薄紅の 雲の上人の舞楽の声ごえに 霓裳羽衣の曲をなせば 山河草木国土ゆたかに 千代万代と舞い給えば 官人駕輿丁神輿を早め 君の齢も長生殿に 君の齢も長生殿に 還御なることめでたけれ」

10月の蒲郡温泉では「マツケン ええじゃないか2」で笑いをとったが、今回はマジでいきます。

サービス、開眼・・・か

テニスを始めてかれこれ40年になる。新入社員の頃、毎週金曜日は六本木で終電まで飲んでいた。帰宅は下手をすると2時になる。だから、土曜日は少なくとも半日潰すことになる。これは勿体無いと、無謀にも同様びの午前中にテニススクールに通うことにしたのが切掛。

そこで初めてテニスを真面目に習ったのであるが、当時はラケットもウッドであったので、その時身についたフォームは、現在では役に立たない。どころか、悪癖にもなる。それを改善するために個人のコーチと二人三脚で3年間。フォアハンドのグリップもコンチネンタルから少しずつ、本当に少しずつ厚く握るように直し、なんとか今がある。もっとも、フォアハンドのコンチネンタルグリップは、今でもフォアハンドスライスで必須なのではあるが。バックハンドは同じくコンチネンタルグリップでスライスが主体。これは今でも変わりない。どころか、最近(と言っても20年くらいのことであるが)テニスを始めた人にはスライスは馴染みのない弾道なので、それはそれで有効なのである。

問題はサービス。習い始め頃は、左手でボールをトスアップするのと同時にラケットを持った右手も振り上げ、いわゆるバンザイをする。そこから、ラケットを降下させ、「背中に生えた角を切り払う」。つまり、ヘッドダウンするわけである。これが染み付いて40年になる。最近では違和感以外の何者でもないが、コーチも手を付けられなかったのか、改善はしていない。

そこで、最近はYouTubeという便利なツールがあり、日本全国、いや世界中のテニスコーチが有益なレッスンを無料で公開している。その中で、最も違和感のあったテイクバックについて「神」なレッスンを見つけた。これまで、ジョコビッチ選手のテイクバックは不思議でならなかったのであるが、その謎が一気に解けた気がする。

まあ、それがきちんと身につくかどうかは神のみぞ知るわけであるが、少なくともロジックは理解できた・・・と、思う。

忠臣蔵

早いもので来週はもう12月です。残暑を恨めしく思ったことも、喉元過ぎればなんとらやで、今では挨拶も朝晩の冷え込みが定番です。

師走といえば「忠臣蔵」。以前は、この時期になると「忠臣蔵」のドラマが連日放映されていました。この師走の風物詩も、最近はあまり目にしなくなりました。少し、寂しく思います。とは言え、茶道宗徧流には『義士茶会』があります。以前は鎌倉宗家で開催されていましたが、門人会の結成を機に門人会主催で全国各地持ち回りで開催することになりました。今年は、九州・唐津で開催されます。

小唄でも忠臣蔵を扱ったものがあります。私の習ったなかでは、「年の瀬や」、「野暮な大小」。

『年の瀬や年の瀬や 水の流れと人の身は とめて止まらぬ色の道 浮世の塵の捨てどころ 頭巾羽織も打ち込んで 肌さえ寒き竹売りの 明日待たるる宝船』

四十七士随一の風流人・大高源吾。俳句をよくし「子葉」というなで知られていた、その源吾。竹売りに扮して吉良邸のまわりを探っていたところ、両国橋で俳人・宝井其角とでくわします。竹売りに身をやつした源吾に、其角は「年の瀬や水の流れと人の身は」と発句を投げます。これに対して源吾は「明日待たるる その宝船」と返すというくだりが忠臣蔵にあります。「宝船」は言わずと知れた「本懐」のことです。其角は、翌朝赤穂浪士討ち入りの報を耳にして、すべてを悟ったことでしょう。

大高源吾は、同じく茶の湯もよくして、なんと山田宗徧に入門していました。そこが、宗徧流義士茶会の起源なのです。この話は、長くなりますので後日に。

小唄松峰派 「松韻会」

小唄松峰派の男性の研修会。今年は、男性の出演が少なかったので女性陣も参加して新たに広尾にお目見えした小規模かつ上質な音楽サロンにて開催されました。

二部構成で、第一部は女性も唄ったり、あるいは三味線を弾いて男性が唄ったり。いわばおさらい会。第二部は松峰照家元の三味線で男性が唄う、「マジ」な会。私は第一部では、女性の三味線で『未練酒』を、第二部では照家元の三味線で『言わなきゃよかった』を唄った。

『未練酒』は、松峰派を代表するオリジナル曲で、他流でも舞台で唄われることが多い名曲。先日、八王子で開催された「芝ゆき会」でも披露した。不倫の果ての別れ話。🎵どうにもならない、二人が仲 を温泉宿で語り尽くした男と女。泣きつくして”涙も枯れた”女を残し、宿を立つ男。出て行く(妻のもとに戻る)男を背中で送り女は酒を飲む。🎵女心の未練酒。この曲、終盤に「おまえお立ちか お名残惜しい」と『おたち酒』が「あんこ」に入る。『おたち酒』とは、宮城県の民謡で、嫁ぐ娘との別れを惜しむ親心を歌っているが、ここでは、男との別れを嘆く女心を印象的に表現している。

二部では、『言わなきゃよかった』。これは、小唄の泰斗、今は亡きハーさんの十八番である。「言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音」 こちらは別れというより、痴話喧嘩か。酒の力か、心にもないことを口走ってしまったのだろう。男は腹をたてて部屋を出て行く。残された女は、あの一言を悔やみつつ、一人で酒を飲み続けるのである。

どちらの曲も、男が去り、一人残された女は酒で憂さを忘れようとする。『未練酒』はもう決定的な別れのようである。それに対して、『言わなきゃよかった』は、長い付き合いのなかでのちょっとした言い争いに聞こえる。次に会った時に、女はどういう表情を見せるのであろうか。仲直りして欲しいものである。

My Favorite Food

Soupe de Poisson(スープ・ド・ポワソン)。魚のスープ。南フランス、あるいはフランス全土のシーフードレストランでは一般的な料理。カサゴなどの岩礁魚を使ったスープで、カリカリのバゲットの小片に独特のペーストを塗ったものを浮かべ、その上にチーズを振りかけてスープとともに頂くのが一般的。

フランスのカジュアルなレストランではプリフィックスといって、前菜とメイン、あるいはメインとデザートをそれぞれ3、4品のなかから選択することが多い。南フランスでは、前菜にこのスープ・ド・ポワソンか、フォアグラのテリーヌが定番。海の旨みが凝縮されたこのスープ、おじやにして食べたいと思うほど、ウルトラ日本人好みだと思うのだが、日本ではめったにお目にかかれない。

極めて残念である。が、実は獨楽庵の在する八王子にはこのスープ・ド・ポワソンを定番メニューとして提供しているビストロが存在するのである。ご興味のある方は、獨楽庵亭主までお問い合わせください。

猩々

来年11月の観世能楽堂での舞台を目指して、猩々(能)の稽古を続けています。思えば、7年前、ひょんなことから謡・仕舞ならず能の稽古を始めてしまったわけですが、青山の鐡仙会で『鶴亀』を。渋谷のセルリアン能楽堂で『橋弁慶』を勤めました。それまで、能といえば、すなわち「昼寝」で、言葉わ悪いが「罰ゲーム」とさえ思っていました。それば、能の稽古をきっかけに、年間100曲を観能するようになり、そのあげく一端の評論まがいまで吐くようになりました。

普通は入門すると、謡の稽古を始め、しばらくすると仕舞の稽古を始めます。能の良いところは、素人が発表会に臨むにあたって演奏形態を選べるということです。謡しか習っていなければ、「素謡(すうたい)」という形態があります。文字通り、謡うだけです。舞を習い始めると、「仕舞」という形態があります。素謡をバックに紋付袴で能のクライマックスを舞うものです。この先には、「舞囃子(まいばやし)」があります。舞手が紋付袴であることに変わりはありませんが、バックが謡(地謡)に加えお囃子が入ってきます。能の一歩手前です。

私の場合、謡→仕舞→舞囃子というステップを飛び越えて、いきなり能から始めてしまったので、複雑な状況に置かれています。能では当然ながらシテ(主役)を勤めるのですが、謡の稽古は自ずとシテ謡中心になります。ですから「鶴亀」にしても「橋弁慶」にしても、能のシテは務めましたが、謡としては前編を稽古したわけではないのです。例えば、私は扇を持って舞った経験がないのです。「鶴亀」のシテは常時「軍配」を持っています。「橋弁慶」では、前シテでは中慶、後シテでは長刀を持って舞います。

この感覚。お茶人の皆様には、いきなり「真台子」の稽古を始めたと思って頂ければ大かたお察し頂けると思います。草の服紗捌きを習う前に、真の服紗捌き(四方捌き)を習うという感覚です。真とは言え「四方捌き」は一つの型なので、それを反復練習すれば十分身につきます。ですが、草の服紗捌きから徐々に積み重ねたのとは、やはり異質なのだと思います。

話は「猩々」からは外れてしまいました。「猩々」を稽古していて思うことは、後日に。

三味線

実は、25年前に小唄を習いはじめたのとほぼ同時に小唄三味線の稽古も始めている。最初の師匠である松風美く実師の見台開きには、番外で八王子芸者の小唄振りがあったが、その時の番組は『心して(鶴次郎)』。唄はハーさんこと今は亡き橋下氏。不祥、松風実優こと私が本手を、美く実師が上調子を弾いた。なんとか大きなミスもなく無事に大役を勤めることができた。

『心して』というのは、新派の名作『鶴八鶴次郎』を題材にし、春日よとが作曲した名作である。『鶴八鶴次郎』の鶴八は新内の三味線弾き。鶴次郎は太夫である。当然、『心して』も新内調に仕上がっている。

“心して我より捨てし恋なれど せきくる涙堪えかね うさを忘るる杯の 酒の味さえほろ苦く“ 。後弾きの上調子が印象的である。この唄を持って、春日とよは小唄春日派を樹立。春日派にとっても意義深い曲であろう。

話が逸れたが、ボスよりお許しが出たので来年秋の茶会では、小唄の弾き語りを披露(あくまで所望されればであるが)しようと思う。ということで、三味線の稽古を再開しますという話。

セントアンドリュース

ゴルフ好きの方はピンとくるかもしれない。この写真の舞台は、スコットランドにあるセントアンドリュース・ゴルフリンクスの中でも、ゴルフの聖地と称される『オールド・コース』。その17番ホールにある橋。メジャー8勝を含む、ツアー38勝を誇る名プレイヤー、トム・ワトソンが最後の全英オープンをホールアウトした後、この橋の上でホールに向かって帽子を振り続け別れを惜しんだという伝説の橋である。

なぜここにいるのかというと、ロータリークラブのお陰。この地にある、セントアンドリュース・ロータリークラブ(RC)は、毎年、ここセントアンドリュース・ゴルフリンクスでゴルフコンペを開催している。これがただのゴルフコンペでないのは、全世界からロータリークラブの会員(ロータリアンという)が集結するからである。参加するために予選など条件はない。ロータリアンであること。ゴルフを愛していること。あと、オフィシャルHCがそこそであること(笑)くらいである。

このゴルフコンペ、予選はオールド・コースと隣のエデンコースの2ラウンドで行われ、上位者は翌日からの2ラウンドに臨む。だから、どんな下手でもかのセントアンドリュース・オールドコースで1回はラウンドできる。この時のメンバーで17番を終わった後に記念写真を撮ろうと撮影したのがこの写真。左の背の高い男はアメリカ人で、ナイキのアンバサダーをしているという。飛距離が全く違うので、ティーグラウンドとグリーン上でしか一緒にならない。もう1人は、フランスからの参加で、彼とは18ホールずっと話続けていた。ホールアウトした後、迎えに来た奥さんに「マサルはとてもゴルフが上手いんだよ」と紹介してくれた。上手いわけはないのであるが、そこは紳士の世界とご理解いただければ幸いであります。

言わなきゃよかった

11月23日は、小唄松峰派の男性だけの勉強会『松韻会』である。このところ、建長寺の四ツ頭茶会とか、京都での能の稽古とか、獨楽庵での炉開きが続き、小唄の稽古がおろそかになっている自覚はあったものの、いざ当日の番組を決めるとなると俄かに浮き足立つのである。

師匠からは一曲は『未練酒』にと指示が。この唄は、先日の八王子・芝ゆき会でも唄ったので、まずは順当というところ。もう一曲はどうするか、師匠には『言わなきゃよかった』をリクエスト

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

この曲も先代・松峰照家元作曲による松峰派オリジナル曲である。主人公は女。であるから、師匠も女性に唄わせてきたとのこと。ところが、我が街八王子では、小唄の泰斗ハーさんこと橋本さんのお気に入りとして有名。ハーさんの唄を聞いた、師匠(二代目松峰照家元)が「男性が唄うのもいいわね」と、以降男が唄う機会も増えている。

この唄も、他の松峰派の曲と同じく昭和の作品であるからして、女性が強いのである。よくある痴話喧嘩だったのだろう。ところが、酒が過ぎたのか言い争いになり、女も「ここは自分が引くべきか」とは思いつつも、意地を通して、喧嘩別れ。女は反省しつつ、雨音を聞きながら酒を飲むのである。このシチュエーション、世が世なら男の専売であろう。それが、昭和になると女の絵としてしっくりくるのである。