1984

とある業界の将来像と戦略について議論していて、自分が明らかに権威主義に傾いている事に気がついた。

その時思い出したのが、Apple創業者Steven Jobsの1984年のスピーチ。彼はAppleとIBMを対比するなかで、如何にIBMが新市場のチャンスを失ってきたか述べている。1950年代のゼログラフィ技術、1960年代のミニコンピュータ、1970年代のパーソナルコンピュータ。パーソナルコンピュータには、大慌てでその名もIBM PCをもって参入しているが。

ミニコンピュータは、Digital Equipment Corporation (DEC)が生み出したセグメントであるが、IBMは、”to small to do serious computing”としてdismiss(拒む)した。Appleが生み出したパーソナルコンピュータも同じ。

新たな胎動を当時のIBMのようにdismissしてはいないだろうかと反省した次第。

リンクはそのJobsのスピーチ。https://youtu.be/xopj35NvcHs?si=QtGvEv7vXwZ-UQBX

趣味

趣味は?と尋ねられると「茶の湯、小唄、能楽」それと「ゴルフとテニス」と答えるしかない。ほとんどの方は、「和事がお好きなんですね」と仰る。

確かに客観的に見れば「和事」が好きなのかもしれない。しかし、それは結果論であり、成り行き任せの成れの果てなのである。

私を小唄の世界に引き摺り込んだのは、地元における小唄の泰斗「はーさん」である。同窓会の重鎮にして地元経済界でも一目置かれる「はーさん」からある時電話がかかってきた。「今から遊びに行ってもいいかい?」「もちろんです」 しばらくして「はーさん」が来社。しばらく世間話をして「さあ、行くか」と。「どこに行くんですか?」と聞いても、「ついてきたら分かる」の一点張り。かくして到着したのはビルの最上階にあるカルチャースクールの「小唄教室」。数名の受講者がすでに着席していて、真ん中に師匠が。何がなんだかわからないうちに、「じゃあ、唄ってみましょう」と歌詞を渡されたのは、「伽羅の香」だったと思う。

師匠について何度か唄うと少しは慣れてくる。そうすると周囲から「男性は声がいいわね」とか「筋がいいわね」と妙なお褒めの言葉が。これに浮かれた訳ではないが、正式に入門して稽古を始めることになる。その後、師匠は2度変わったが今でも小唄の稽古は続けていて、25年を数える。年数だけ言えばベテランの域かもしれない。小唄はすでに人生の一部になっている。このような世界を与えてくれた「はーさん」にまず感謝したい。

この話には、重要な前段がある。「はーさん」は常々「人間誘われるうちが花」と仰っていた。文字通り取れば、「誘われるうちに、やっておきなさい」ということ。しかし、これには裏があって、「誘う方も真剣なんだ」ということ。自分が属してしかも大切にしているコミュニティに新人を誘うことはとても勇気のいることだと思う。その輩の行動遺憾によっては自分のコミュニティ内での立ち位置に係るからである。だから、そのリスクを承知で誘うということは、そのことをしっかり受け止め真摯に決断すべきだということ。もちろん、誘いに乗ることがベストであろう。

思えば、誘われたら断らないということは私の人生訓かもしれない。

一人暮らし

去る4月14日、小唄松峰派樹立55周年記念演奏会(於 三越劇場)で唄った『一人暮らし』。作詞 伊藤寿観、作曲 初代松峰照(昭和52年)。

「雪もよい 一人暮らしの気散じは 昼間の酒の燗ちろり ねずみガタガタ 湯豆腐グッツグツ 炬燵にゃ子猫が大あくび がっくりそっくり按摩さん 格子戸開けて ええお寒うございます」

洒落た小唄らしい作品だとおもう。出だしの「雪もよい」はゆったりと。どんだけ格調高い曲がはじまるのかと思いきや、いきなり粋な小唄の世界に。寡婦(やもめ)男の休日である。湯豆腐を肴に昼酒を決め込んでいる図である。ここに出てくる「燗ちろり」。これに疑問を挟む余裕はなかったが、あらためて調べてみると日本酒の燗をつけるための錫や銅でできた容器のこと。そういえば、昔ながらの居酒屋にいくと、店の奥で店の主が燗番をしていることもあり、その時に湯に浸けられていたのが「燗ちろり」なのだろう。

この唄、主人公は一人暮らしの気軽さを最大限に堪能すべく、昼から炬燵で湯豆腐を肴に昼酒なのであるが、周囲は放っておかない。天井ではねずみがガタガタ走り回り、目の前では湯豆腐が煮えたぎり、足元では猫が大あくび。そうこうするうちに、頼んでいた按摩さんが到着し。格子戸を開けて、「ええ、お寒うございます」。なんとも賑やかであるが、当の本人は昼酒でいい調子なのだろう。その様子を想像するに、なんとも滑稽というか絵になる。

こういう小唄はそいいう面白さを聴衆に伝えなければならない。これが意外とむずがしいのである。稽古でも毎回「ええお寒うございます」のやり直し。イメージは格子戸をあけて、奥にいる主に聞こえるように「ええお寒うございます」 なのであるが、言葉に引きずられて陰気に「お寒うございます」は論外なれど、どいういう気持ちで「お寒うございます」なのか。

小唄は難しい。

言わなきゃよかった

4月、5月と大舞台(=三越劇場)が続いたので、小唄の大切な醍醐味の一つをわすれかけていたことに気がついた。

小唄はもともと「四畳半の音曲」と呼ばれていた。この場合、四畳半とは小座敷を指す。つまり、座敷で、少人数で楽しむ音楽ということである。座敷というのは、時代であれば料亭。いまでは、料亭というとその店で調理した料理を供する”高級な”和食店というのが概ね虚言う通するイメージであろう。しかし、「料亭」とは本来その店で調理した食事を供する場所ではない。そのような店は「割烹料亭」と呼ばれることはあったが、それが短縮されて料亭となったのかもしれない。「料亭」とは、「お茶屋」とも呼ばれ、いわゆる貸し座敷である。客、芸妓、料理が集まる場所である。料理は仕出で提供される。「料亭」で調理するわけでないのである。「料亭」が出すのは、お酒とせいぜい漬物くらい

我ホームグラウンド八王子の花柳界にも10年前くらいまではそういう「料亭」があった。料亭を利用するときの”正規”のプロトコルは、まず「料亭」の女将から始まる。と言うか、女将が全てである。女将に時間と人数を告げれば、あとは女将の采配で手配してもらえる。その頃でも、そうしたプロトコルは辛うじて存在していたが、「料亭」の消滅によりそのようなプロトコルはなくなり、知っているものも少なくなっている。昭和は遠くなりにけり。

話はそれたが、ロータリークラブの小唄愛好家の有志があつまった同好会に参加した。日本料理店(今ではそれを「料亭」と呼ぶのが一般的)の座敷に芸妓を呼び、一通り料理と芸妓の芸を楽しんだ後、いよいよ小唄である。全員が小唄を嗜み日常的に稽古をしているという、いわば好きもの同士なので、誰に気兼ねすることなく小唄を披露し、時には批評も伺う。大舞台では味わえない、小唄本来の魅力であると思う。

今回は、松峰派の代表曲の一つにして今は亡き小唄の泰斗のお気に入り『言わなきゃよかった』を唄った。

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

主人公は女性である。繰り返すが、昭和の女は強いのである。男に一方的に言われ、男が去った後、女々しく泣くような女ではないのである。男と対等に口喧嘩し、言いすぎてしまうくらい強いのである。しかも、「一人で」雨の音を聞いてそれを悔いているのである。きっと、酒を飲みながら。

紫陽花

ロータリークラブには例会への出席を第一義とする「教義」がある。ロータリーというと「奉仕活動(一般にはボランティア活動と言った方が通りがよい)」があるが、それに関連して「入りて学び、出て奉仕せよ」という言葉がある。この場合「入りて」とは「例会に出席して」と同義である。つまり、ロータリークラブにとって「例会」は学びの場であるわけである。

しかし、毎週昼間に例会を開催しているのだから、現役のビジネスマンならずとも100%出席するのは難しい。それでもなお100%出席を求めるのであるから、とうぜんのことながら救済策がある。「メイクアップ」とよばれる制度がそれで、要は世界中にあるロータリークラブの例会に出席して、自分のクラブの欠席を埋め合わせる(=メイクアップ)することができるわけである。これはとりようによっては、偉大なる権利なのである。世界中どこのロータリークラブにもノーアポで出席することができるのだから。

今朝も、京都のクラブでメイクアップした。このクラブの今年の会長は花屋さんであるので、毎回花について話をして頂ける。花音痴茶人である我が身に大変ありがたい例会でもある。前回メイクアップした時には水仙についての話を伺った。今日は紫陽花がテーマ。

紫陽花は、日本が原種で西洋に渡り、それがセイヨウアジサイとして日本に戻ってきたのだそうだ。我々が花びらだと思っている部分は実はガクで、花びらはそのガクが密集した中にあるというだ。アジサイには青いものと赤いものがあるが、どれは土壌の違いで、土がアルカリ性だと青くなり、賛成だと赤くなるらしい。

そういえば、庭に朝顔が咲いていたなあ・・・

猩々

能の林宗一郎先生が、来年「十四世林喜右衛門」を襲名されるのに合わせて、我々林社中の素人会『松響会』が開催されることになりました。先生の地元京都では4月に。東京では令和7年11月24日(勤労感謝の日の振替)です。会場はなんと、銀座の観世能楽堂! 

この11月の会で、『猩々』のシテを勤めさせて頂くことになりました。猩々は、海底に住む精霊です。揚子に住む高風という親孝行息子は、ある晩「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢をみます。高風は夢のお告げの通り揚子の市で酒を売りましたが、高風が酒を売っていると必ず現るものがいて、そのものはいくら酒を飲んでも全く酔わない。高風が不思議に思って尋ねると、「海に住む猩々」と名乗りました。
高風が潯陽のほとりで待っていると、赤い顔をした猩々が現れ、友との再会を喜び、酒を飲み舞を舞います。そして、心の素直な高風を称え、これまで酒を飲ませてくれたお礼に酌めども尽きない酒の壺を贈り酔い潰れて伏せてしまいます。これは高風の夢の中でしたが、酌めども尽きない壺は残り、高風の家は長く栄えたと言います。

これが『猩々』のあらすじですが、酌めども尽きない酒の壺を贈られた東風の家は長く栄えたという部分が大変に目出度いということで、附祝言でも唄われることも多く、祝言曲として知られています。

先生の襲名記念の会に祝言曲『猩々』を舞わせて頂けることは大変光栄なことです。『猩々』は五番目物として扱われているので、もしかすると会の最後の番組になるかもしれません。前回の『橋弁慶』はのんびり構えすぎて不完全でしたので、今回は最初から飛ばしていこうと思います。

川崎大師大開帳奉修

大本山川崎大師平間寺では、10年に一度の大開帳奉修が行われています。この期間(5月1日から31日)に参拝すると赤札が授与されます。弘法大師様の無量の功徳を授かる事ができるという赤札を求めて、20万人もの信徒が川崎大師を訪れると言われています。

この期間中の週末は茶道各流が交代で呈茶席を設けて来山者に抹茶を振舞います。茶道宗徧流関東地区は、25、26日を担当しました。25日は中書院座敷にて400服、26日はステンドホールにて500服を差し上げました。

このご奉仕のご褒美に赤札を頂きました。

軒つばめ

JR鎌倉駅では改札を一つ閉鎖しているというニュースがあった。その改札の上にツバメが巣をつくったからだそうだ。閉鎖されている改札には「ツバメ子育て中 巣立つまで温かく見守ってください」との張り紙が。なんとも和むニュース。
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/c9e3fe1048337b91edfcd505007c8bdfc48e5779&preview=auto

こちらは小唄。「軒つばめ」

🎵きまぐれに帰ってきたのか軒つばめ 濡れた素振りを見せまいと はずむ話もあとや先 洗い立てする気もついそれて あんまり嬉しい久し振り

なんとも意味深な歌詞ではないか。

平成庭園夕月の会

獨楽庵の茶会ではありませんが、獨楽庵亭主の小坂宗優が席主を勤めます。

令和6年9月15日(日) 江戸川区行船公園・平成庭園にて『夕月の会』(野立)が催されます。私は平成庭園内の「源心庵」にて開かれます協賛茶会に釜を掛けます。

「夕月の会(野立)」は9月15日(日)午後1時から5時まで。無料です。

協賛茶会は同日午後1時から7時まで。私も含めて3席開かれます。
🪷 花の間 遠州流茶道 田中宗未
🌕 月の間 宗徧流 小坂宗優
❄️ 雪の間 表千家 宮本啓子

会場は、江戸川区行船公園・平成庭園
江戸川区北葛西3-2-1
【徒歩】東京メトロ東西線「西葛西駅」より徒歩15分
【バス】東京メトロ東西線「西葛西駅」下車 都営バス(新小21 新小岩駅行)で「宇喜田」または「北葛西2丁目」下車
【車】行船公園北側に東京都有料駐車場(300円/1時間)がございます。

お時間ございましたらお出まし下さいませ。

本年は茶券3,500円でございます。お問い合わせ、お茶券ご希望の方は、獨楽庵までお申し出くださいませ。

info@dokurakuan.com

武藤山治

少々政治の話に関わる。このブログでは政治の話は無しにしようと考えているが、このテーマだけは避けて通ることができない。現在、八王子・元横山町の桑都茶寮に現存する茶室「獨楽庵」の施主、武藤山治氏のことである。

山治氏は1867年4月5日美濃国安八郡脇田村(現在の三重県海津市)の豪農・佐久間国太郎の長男として生を受ける。米国留学の後、親戚の武藤松右衛門の養子となり武藤姓を名乗ることになる。1893年三井銀行に入社し、翌年鐘淵紡績兵庫分工場支配人として転出し、以後1930年(昭和5)に社長を退くまで鐘紡の近代化と成長に貢献。途中、実業同志社から政界に進出(衆議院議員)。1932年(昭和7)には時事通信社に入社し言論活動を始める。そして、1934年(昭和9)、北鎌倉の自宅前で凶弾に倒れる。

まさに波乱万丈の生涯であり、国を愛し、腐敗した政治を糾弾し、それを正すには国民の政治的成熟が必要と訴えた。1932年には大阪大手前に国民の政治教育の殿堂足るべく私財を投げ打って『國民會館』を創設。

その『國民會館』は今もその大手前で活動を続けている。その山治氏が北鎌倉に結んだ茶室「獨楽庵」を運営する身としては山治氏について学ばぬわけにはいかない。ということで、早速「國民會館」に入会。入会申し込みに際して、獨楽庵云々・・・について簡単に書き添えたところ、國民會館館長の武藤治太氏より著書を頂戴した。

早速、縁を感じつつ読み始めることにする。