鎌倉・建長寺では開山・大覚禅師の命日に四ツ頭の茶会を開催している。四ツ頭茶会は南宋時代禅林で行われていた茶礼で、栄西禅師が禅とともに日本に伝えたと言われている。茶会当日は鎌倉に所縁のある茶道流儀が交代で釜を添えている。今年は、宗徧流の担当で神奈川支部が得月楼で、神奈川支部を除く関東地区が少林窟の薄茶席を担当する。少林窟席では、立場上、不肖私が席主を勤ることになっている。
あれこれと考えを巡らすと、建長寺は逸話の宝庫であることが知れる。建長寺、正式には巨福山建長興國禅寺は蘭渓道隆禅師を開山、執権北条時頼を開基として建長5年(1253年)創建された、臨済宗鎌倉五山第一位の名刹である。ご本尊は、地蔵菩薩。釈迦の入滅の56億7千万年後、世界が滅ぶ時に弥勒菩薩が降臨し救済されると言われている。弥勒菩薩が降臨するまでの間、世界を救済するのが地蔵菩薩である。また、布袋様は弥勒菩薩の生まれ変わりとされている。また、建長寺は日本最古の禅専門道場でもある。その修行の現場が、少林窟であるのだから、心を引き締めて席を運営しなければならない。
世界に『ZEN』を広めた釈宗演和尚は一般的には同じ鎌倉の円覚寺派の管長して知られるが、一時期建長寺派の管長も兼任なさっている。
一方、開基の五代執権・北条時頼は、我々能楽愛好者にとっては、「鉢木」として有名である。諸国行脚中の時頼は上野国佐野で雪に見舞われ、佐野源左衛門尉常世の家で一夜の宿を借りる。この物語は後日に譲るとして、宿を所望した旅の僧を時頼とは知らぬ常世は、丹精込めて育てた鉢植えの木を惜しげもなく炉端にくべ、僧に暖をとらせた。後日、鎌倉から檄が飛び、「いざ鎌倉」と常世は痩せ馬を伴って鎌倉にいち早く馳せ参じた。常世をみつけた時よりは、自分があの時の僧であることを名乗り、常世を褒め鉢の木の松、梅、桜にちなんだ所領を与えた・・・というのが能・鉢木の大雑把なストーリーである。また時頼には青砥橋の銭探し伝説もある。青砥橋は滑川にかかる橋の一つで、茶道宗徧流家元邸より徒歩2、3分のところにある。
特に建長寺に関わることではないが、獨楽庵亭主としては北鎌倉は獨楽庵が所在した地であることを忘れてはならない。北鎌倉から大船周辺はかつては玉縄と称され、いまも地名に玉縄が残っている。建長寺には玉縄桜があるとも聞く。江戸前期の玉縄藩主・松平正信公は日光東照宮とともに鶴ヶ丘八幡宮の修繕奉行も勤めている。
さらには、三門のたぬき和尚伝説・・・
これだけ話題があると、席主は助かりますなあ。