獨楽庵は誰がどう見ても、「お茶」の場です。全てが「お茶」ために設えられていると言っても過言ではありません。ここで「お茶」と鉤括弧で括っているのには訳があります。お茶といっても緑茶、紅茶、烏龍茶といった飲むお茶のことを言っているのではなく、着物を着て、和室に正座して、小難しい話をしながら飲む。あの行為全般を指しているのです。
不思議なもので、その行為を言葉で表すと「茶道」であったり、「茶の湯」であったり。あるいは「茶」という言葉は使わず「数寄」と言ったりもします。同じものを見ていても、それぞれ違う見方をしているようです。おそらく、それら全てを包括しているのが「お茶」という言葉なのではないでしょうか。「お茶」をしています。と言うと、言った本人的には「茶道」であるかもしれませんし、「数寄」であるかもしれません。それでも、それを聞いたに相手は、「ああ、この人はお茶をしている人なんだな」ということが伝わります。
それではその時の「お茶」とはいったいどういう意味なのだろうか。ここを考えることが、「お茶」の魅力を発信するために不可欠ではないのかと思うのです。