1月16日(金)、鎌倉浄明寺・茶道宗徧流宗家の初釜にお呼ばれでした。私は、初日の第一席で正客を仰せつかりました。つまり、お家元が今年初めてお点てになった濃茶を、最初に頂く栄に浴したわけです。
家元が還暦を迎えられる本年、床はご自身の筆になる「力囲希咄(りきいきとつ)」。茶席では、家元より「あなたにとっての力囲希咄とは?」という問いが投げかけられました。私にとって力囲希咄とは宗徧流そのものです。この四字(本当は、三字)から、宗徧流初代・山田宗徧は力囲斎を名乗り、師匠の宗旦は咄咄斎を名乗りました。力囲希咄はいうまでもなく、利休の遺偈の一部です。このことは、宗旦・宗徧の師弟は、利休の侘びを正く受け継いでいることを示しています。同時に、宗旦・宗徧の師弟は、力囲希咄から自らの斎号を選びました。そこには師弟の強い絆が感じられます。
ちなみに、「希」をとって、八世宗有宗匠は希斎と名乗られました。また、宗徧流家元は若い時には、宗カ。若宗匠になると宗囲、そして襲名されて宗徧と名乗ります。これも、力囲希咄に由来しています。
(注意)写真は、初釜で掛けられた幽々斎宗匠の筆ではなく、大徳寺・翠巌和尚の「力囲」です。

