桂川籠

宗徧流では、12月は桂川籠を使う人が多いと思います。赤穂浪士討入にちなんで。

12月14日、吉良家では大事な茶会が催されていました(その情報を掴んで、赤穂浪士は討入の日を決めたと言われています)。その席には、宗旦から山田宗徧へ伝えられた利休伝来の桂籠がありました。討入を遂げた赤穂浪士は、追手を恐れ、吉良公の首は船で品川へ運び。桂川籠を白布で包み首に見立て、槍に刺して凱旋したと言います。

その故事にちなみ、この時期には桂川籠を使います。また、浅野家お取り潰しの後、実家に引き取られていた瑤泉院の元に白玉椿が届けられたことで、瑤泉院は四十七士に切腹の沙汰が下ったことを知り安堵したと言われます。その話にちなんで、桂川籠には白玉椿と教わりました。

この時期、宗徧流の席に入られて床に桂川籠を見つけたら、是非、討入の話を尋ねてください。待ってました!と延々と話し続けるはずです。

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