一年の締めくくりに

大晦日を迎え、獨楽庵の一年を振り返りつつ、反省と新年への思いを。

一年前は、獨楽庵の運営を任されても、正直なところ掴みどころない、五里霧中の状態でした。その霧が晴れ始めたのは去年の今頃から正月に掛けて。それまで、単にお菓子とお茶をお出しして「体験」と謳っているようでは、どこにでもあるツーリストスポットと変わりはないと思いつつ、解決策は見えませんでした。

純粋に、「茶の湯の楽しみ」「茶の湯の価値」とは、と思考を巡らし先達の言葉に耳を傾け思案を続けました。朧げながら至ったのは、原点に戻ろうということ。ここでいう原点とは利休であり、宗徧流の流祖山田宗徧です。利休ー少庵ー宗旦ー宗徧の時代、つまり「侘び」の時代に回帰しようということ。

お菓子に続いてお点前でお茶が出される。よくある大寄せ茶会の一場面。これでは茶の湯の楽しさは伝わらないと常々思っていました。何が足りないのか。それは、「濃密な対話、コミュニケーション」ではないかと思い至りました。「侘び茶はコミュニケーション」と。そこで、その時代の茶の湯の実践、つまり今で言うところの「茶事」が必要なのではないかと。しかし、現在一般に行われている茶事はあまりに豪華。もっとシンプルにできないかと思っているところに、紹鴎の言葉「珍客たりとも会席は一汁三菜を超えるべからず」との言葉が降ってきました。これだ!と。

そこから、紹鴎の言葉を盾に、シンプルな食事と、初座・後座と場面を切り替える方向で組み立てを始めました。最初は、懐石ではなくお弁当を出していましたが、あるところから気持ちを切り替え、一汁三菜の懐石を自ら作ることに乗り出しました。鉄釜でご飯を炊いて、熱々の味噌汁。白身魚の昆布締めを向付に。煮物は試行錯誤の末、真情に辿りつきました。苦手だった焼き物にも挑戦。最初は焦げたり、焼き過ぎのものを臆面もなくお出ししていましたが、今ではなんとか様になっていると思います。これで一汁三菜。この後、湯桶と菓子をお出しして初座は終了。後座は、小間席に移動して濃茶、薄茶。濃茶は電灯を消して蝋燭の灯りだけで。拝見のタイミングで電灯をつけて、薄茶は和やかに、ゆるゆると。

この流れがスタンダードになりつつあります。お客様もリピートしてくださる方も増え、ありがたいことです。そうした中、これが現代の茶への一つの回答か・・・と思うようになりました。

来る令和7年は、この一汁三菜の侘び茶事に磨きをかけ、同時に違った視点から茶の湯を見直し、これまで茶の湯を遠ざけていた人たちにもリーチできるようにしたいと考えています。

来年もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

一般社団法人獨楽庵
代表理事・亭主 小坂宗優

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