茶道便蒙抄〜客方 六「膳出ること」

宗徧流流祖・山田宗徧は、生涯に『茶道要録』、『茶道便蒙抄』二冊の茶道指南書を上梓している。『茶道便蒙抄』は山田宗徧の指導を口述筆記したものと言われている。亭主方、客方、置合図の三部構成。現代を生きる茶道家にとっても興味深いものであるが、まずは客方の一部を紹介しようと思う。

「炭を仕廻ひ膳を出すなり。主からなず膳をすゆるなり。その時かしこまり「御給仕過分のよし」申し。膳を中にて請取り載き下に置く。その時次の客「御給仕は御無用になされ御通ひを必ず御出しあれ」と申してよし。然れども下座までも主膳をすゆるなりその時客一同に。「必ず御通ひの者を御出し候て。御食まいるべき」由を申べし。

炭道具を片付けると亭主が正客に膳を運び出す。その時、次客は「亭主ご自身での給仕はご無用ですから、通いの者(お運び)をお出しください」と断る。この断りは詰客まで同様にするが、亭主は全ての一人で運び出す。詰客まで膳が出されたところで、一同揃って、亭主自らの給仕を断るのであるが、亭主は最後まで一人で給仕すべしと、書かれている。

客は徹頭徹尾、亭主自らの給仕に感謝し亭主を労る。それに対して、全て亭主が一人で給仕してこその侘びなのだと述べている。獨楽庵でもこの気持ちで茶事を進めていきたいと思う。

船越席

茶苑獨楽庵には、二つの三畳台目席があります。一つは、この茶苑のシンボルである太柱席胡と「獨楽庵」。三畳台目向切・右勝手。点前的にはハードル(というか、落し穴)の多い席ですが、庭に向けて壁ではなく障子が貼られていますので、明るく開放的です。

この獨楽庵を陽とすれば、もう一つの三畳台目「船越席」は「陰」と言えるかもしれません。三畳台目出炉・左勝手。中柱、釣棚。四方を壁と比較的小さな明かり取りで囲まれた席は、獨楽庵と異なり凛とした緊張感があります。久しぶりに船越に入ってみると、獨楽庵とは違う茶の湯の楽しさを主張しているように思えました。

簡単に言えば、獨楽庵が「数寄」の茶であるのに対して、船越は「求道」の茶。茶の湯の精神性を思い出しました。3月は、春を迎え浮たった外の空気と、船越の緊張感の対比を楽しんでみようと思います。

雉も鳴かずば

写真の掛け物は、先日の『第一回倶楽茶会』で獨楽庵席をご担当頂いた、無持菴様の置き土産。奈良・興福寺から拝領した太柱を使って、この茶室「獨楽庵」を北鎌倉に建てた、武藤山治の直筆による画賛。

鐘紡の社長を勤めた後、政界に進出する側、時事新報社に加わり政界の闇を告発。それが遠因になってか、昭和9年3月9日 自宅前で暴漢に銃撃を受け翌日死去。前半の「雉も泣かずば・・・」はあまりに皮肉であるが、後半の意は、「正しいことをしているのだから何を恐るるべき」ということ。身の危険を感じながらも、不正を告発せずにはいられない武藤の矜持。

3月10日は、山治九十二回忌。