獨楽庵茶会

現在、獨楽庵における日々の活動の柱になっているのが、『獨楽庵茶会』という名の、小茶事です。「小」とつけているのは、今日一般的な茶事と比べると、いくつかの場面が省略されているからです。

この『獨楽庵茶会』の目的は、一般社団法人獨楽庵の活動をご支援いただいている「友の会」会員様と茶の湯の楽しみを発掘、再確認することにあります。それこそ、獨楽庵の活動のコアなのです。ですから、正会員の皆様は、無料で『獨楽庵茶会』にお迎えしています。お連れ様に恐縮ですがあまり負担にならない金額をご負担して頂いています。賛助会員(サポーター)の皆様には、茶券をお渡ししていますので、その茶券を使って参加して頂けます。お連れ様の分にも使えますので、ご活用ください。このように基本的に会員様を念頭に茶席を設けておりますので、SNSでは「会員制茶寮」と名乗っています。これは、茶事を提供する飲食店と一線を画すためです。

『獨楽庵茶会』は、懐石は一汁三菜を基本にしています。武野紹鴎は、「珍客たりとも会席(懐石)は一汁三菜を超えるべからず」と諭していますし、この紹鴎の流れを受け継いだ千利休も記録が残っている限りで懐石が一汁三菜を超えたのはほんの数回しかありません。むしろ、一汁二菜が多かったようです。獨楽庵でも一汁三菜を基本にしています。これは、これ以上の調理は日常的に不可能という理由もあります。基本的な献立は、折敷に向付(主に海鮮の昆布締め)、炊き立てのご飯、味噌汁。続いて、煮物(真薯が中心)、焼き物(焼き魚)、香のもの、湯桶。ご飯は鉄釜で炊きますので、うまくいくとお焦げができます。

このあと、主菓子が出て、中立。陽気が良い時は露地の腰掛けで、寒い時期暑い時期はソファでお待ちいただいています。その間に、亭主は小間の炭を直し、準備を整えて、銅鑼にて入席をお知らせします。懐石は広間で、お茶は小間でさしあげていますので、お客様の面前で炭を直すタイミングがなく、炭点前は省略しています。小間で濃茶、薄茶を差し上げますが、濃茶は自然光と蝋燭の灯りで緊張感をもって。薄茶は灯りをつけて開放的に。と、同じ席にいても雰囲気に変化をつけています。

本年は、この『獨楽庵茶会』を柱に、会員以外も参加できる大寄せ形式の茶会、講演会などを開催いたします。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

茶の湯の日常

茶道人口の減少が叫ばれて久しい。マクロに俯瞰して見れば、戦後の急激な拡大が調整期に入っているのだと見れなくもない。批判を恐れずに言えば、バブルの崩壊とも言えると思う。しかし、その華やかで勢いのあった茶道界を知っている一個人としては、茶道人口の減少は寂しい以外の何者でもなく、できることなら人口を増やしたというのが本音である。

茶道人口の減少の理由は幾多もあると思うが、その一つは、「しんどい」ことではないかと思う次第である。「しんどい」は、稽古のことではないことを予め宣言しておく。茶とはいえ「道」なのであるから、稽古は厳しくあるべきだと思う。「しんどい」のは、その実践。年月を費やして厳しく稽古し続けてきた茶道であるが、その成果を問う機会は一般に極めて限られている。茶会と茶事である。

茶会とは、「大寄せ」茶会のことで、会場に数百名の茶人が集まり、いくつか設けられた席に赴き順番を待ち、数十名と一緒に席に入る。お菓子が運ばれてくると、徐に点前が始まり茶が呈される。席中では、席主と正客が問答を交わしているが、それが聞こえないこともある。そして、最後に道具をしみじみと拝見してして席を立つ。これが(大寄せ)茶会。

一方、今日一般的に行われている茶事は、ご馳走が次から次へと振る舞われ、その後に濃茶と薄茶を喫するものであるが、自宅で腕によりを欠けてご馳走を準備する方も多いし、全てを料亭に任せるということも少なくない。いずれにしても、ご馳走と名器が並ぶ。

誤解を恐れずにいえば、どちらも「しんどい」と思う。「しんどい」という言葉に問題があれば「ハレ」なのである。一世一代とは言わないが、それなりの覚悟をもって臨むのが大寄せ茶会の席主であり、茶事の亭主なのである。これらは、数ヶ月に一度ならできるが、毎日するのは極めて非現実的である。つまり、「ハレ」であり「しんどい」のである。それは、現在の作動が日常から乖離しているということを暗示している。これが、茶道人口減少の一因なのではないかと考えざるを得ない。つまり、茶道に日常がないのである。

このような背景もあり、獨楽庵では「日常」を大切にしようと考えている。「ハレ」ではない茶の湯。これが、一つの鍵であると考える、今日この頃であります。

自在

とっておきの自在があります。いつかは、この自在に四方釜を吊りたいと思っているのですが、自在は小間のもの。小間でも中柱のある席には相応しくないと言われます。確かに中柱のすぐ脇に竹の自在が下りているのは気障りです。

というわけで、「船越」はリストから外さざるをえません。では、獨楽庵はどうか。獨楽庵のアイコンは、言うまでもなく興福寺から拝領した太柱です。これだけ主張の強い床柱に対して竹の自在。太柱の強烈な存在感故に自在も活きてくるかもしれません。

そもそも、権威や規範と一線を画したのが小間。ここでのルールは徹底した現場主義と美意識だと考えています。今年の獨楽庵、太柱vs.自在を試みるかもしれません。率直なご意見期待しております。