今日の獨楽庵 – 2025年3月2日

昨日に一続いて三名のお客様をお迎えして獨楽庵茶会(一汁三菜のコンパクトな茶事)でした。両日とも正会員様とお連れ様。日常、茶道の稽古をしていると、どうしても点前中心になってしまいます。そんな時に、本来の茶の湯の楽しみ方である「茶事」を体験するのはとても有意義なことだと思います。

今日一般に行われている茶事は、亭主が腕によりをかけた料理が振る舞われ、しかも預け鉢、強肴、八寸と品数も豊富。とても贅沢です。獨楽庵では、このような贅沢な懐石料理は用意できません。「食事は飢えぬほど」を実践でいくような質素な懐石しかお出しすることができません。そのかわり、席入りから退席まで、2時間半から3時間で終了するというコンパクトさが特徴です。

初座の懐石で小腹を満たし、後座の濃茶に臨んでいただくという形式です。言い方を変えれば、後座の濃茶にフォーカスした茶事であると言えるのかもしれません。

話は変わって、「お茶に関心のない方々にどうしたら興味を持ってもらえるのか」という疑問を投げかけらることが少なくありません。この問いに対して、自信を持ってお答えすることはできませんが、まず前提として、お茶に興味がない(あるいは拒否反応を示す方)が頭に描いている「お茶」とはどのようなものでしょうか。おそらく、「大寄せ茶会」を頭に描いているのではないでしょうか。大勢が大きな座敷に詰め込まれて、点前を眺め席主の話を聴きながら運ばれてくるお菓子とお茶をいただく。このようなイメージに対して、興味が湧かないのはよくわかります。実は私もそうでした。

ですから、興味を持っていただこうと思ったら、「茶事」を経験するのが一つの解決策になると思っています。2-3時間を茶の湯に浸って過ごす。少なくとも、ネガティブなイメージは払拭できると思うのですが・・・如何でしょうか。

茶道便蒙抄〜客方 六「膳出ること」

宗徧流流祖・山田宗徧は、生涯に『茶道要録』、『茶道便蒙抄』二冊の茶道指南書を上梓している。『茶道便蒙抄』は山田宗徧の指導を口述筆記したものと言われている。亭主方、客方、置合図の三部構成。現代を生きる茶道家にとっても興味深いものであるが、まずは客方の一部を紹介しようと思う。

「炭を仕廻ひ膳を出すなり。主からなず膳をすゆるなり。その時かしこまり「御給仕過分のよし」申し。膳を中にて請取り載き下に置く。その時次の客「御給仕は御無用になされ御通ひを必ず御出しあれ」と申してよし。然れども下座までも主膳をすゆるなりその時客一同に。「必ず御通ひの者を御出し候て。御食まいるべき」由を申べし。

炭道具を片付けると亭主が正客に膳を運び出す。その時、次客は「亭主ご自身での給仕はご無用ですから、通いの者(お運び)をお出しください」と断る。この断りは詰客まで同様にするが、亭主は全ての一人で運び出す。詰客まで膳が出されたところで、一同揃って、亭主自らの給仕を断るのであるが、亭主は最後まで一人で給仕すべしと、書かれている。

客は徹頭徹尾、亭主自らの給仕に感謝し亭主を労る。それに対して、全て亭主が一人で給仕してこその侘びなのだと述べている。獨楽庵でもこの気持ちで茶事を進めていきたいと思う。

船越席

茶苑獨楽庵には、二つの三畳台目席があります。一つは、この茶苑のシンボルである太柱席胡と「獨楽庵」。三畳台目向切・右勝手。点前的にはハードル(というか、落し穴)の多い席ですが、庭に向けて壁ではなく障子が貼られていますので、明るく開放的です。

この獨楽庵を陽とすれば、もう一つの三畳台目「船越席」は「陰」と言えるかもしれません。三畳台目出炉・左勝手。中柱、釣棚。四方を壁と比較的小さな明かり取りで囲まれた席は、獨楽庵と異なり凛とした緊張感があります。久しぶりに船越に入ってみると、獨楽庵とは違う茶の湯の楽しさを主張しているように思えました。

簡単に言えば、獨楽庵が「数寄」の茶であるのに対して、船越は「求道」の茶。茶の湯の精神性を思い出しました。3月は、春を迎え浮たった外の空気と、船越の緊張感の対比を楽しんでみようと思います。