茶道人口の減少が叫ばれて久しい。マクロに俯瞰して見れば、戦後の急激な拡大が調整期に入っているのだと見れなくもない。批判を恐れずに言えば、バブルの崩壊とも言えると思う。しかし、その華やかで勢いのあった茶道界を知っている一個人としては、茶道人口の減少は寂しい以外の何者でもなく、できることなら人口を増やしたというのが本音である。
茶道人口の減少の理由は幾多もあると思うが、その一つは、「しんどい」ことではないかと思う次第である。「しんどい」は、稽古のことではないことを予め宣言しておく。茶とはいえ「道」なのであるから、稽古は厳しくあるべきだと思う。「しんどい」のは、その実践。年月を費やして厳しく稽古し続けてきた茶道であるが、その成果を問う機会は一般に極めて限られている。茶会と茶事である。
茶会とは、「大寄せ」茶会のことで、会場に数百名の茶人が集まり、いくつか設けられた席に赴き順番を待ち、数十名と一緒に席に入る。お菓子が運ばれてくると、徐に点前が始まり茶が呈される。席中では、席主と正客が問答を交わしているが、それが聞こえないこともある。そして、最後に道具をしみじみと拝見してして席を立つ。これが(大寄せ)茶会。
一方、今日一般的に行われている茶事は、ご馳走が次から次へと振る舞われ、その後に濃茶と薄茶を喫するものであるが、自宅で腕によりを欠けてご馳走を準備する方も多いし、全てを料亭に任せるということも少なくない。いずれにしても、ご馳走と名器が並ぶ。
誤解を恐れずにいえば、どちらも「しんどい」と思う。「しんどい」という言葉に問題があれば「ハレ」なのである。一世一代とは言わないが、それなりの覚悟をもって臨むのが大寄せ茶会の席主であり、茶事の亭主なのである。これらは、数ヶ月に一度ならできるが、毎日するのは極めて非現実的である。つまり、「ハレ」であり「しんどい」のである。それは、現在の作動が日常から乖離しているということを暗示している。これが、茶道人口減少の一因なのではないかと考えざるを得ない。つまり、茶道に日常がないのである。
このような背景もあり、獨楽庵では「日常」を大切にしようと考えている。「ハレ」ではない茶の湯。これが、一つの鍵であると考える、今日この頃であります。