「茶飯釜(さはんがま)」とは、一つの釜でご飯と炊き、茶を点てること。通常の茶事では、最初の膳に向付、汁とともに蓋付きの飯碗に盛られた白米が乗せられる。汁ととともに、白米を食することから懐石が始まる。懐石にご飯は欠くべからざるものなのである。
茶飯釜は、その白米をお客様の面前で炊いてしまおうという趣向である。茶事では入席時刻はあらかじめ客に知らさせているので、その時刻に合わせてご飯を炊くことができる。そうすべきである。であるから、客の面前で飯を炊かなければならないのは不時の客(予定外に訪ねてきた客)であるか、何らかの理由で十分な懐石が用意できないケースである。それ故、茶事の招待に「茶飯釜でおもてなし致します」などど書いてはならないと教わった記憶がある。
一方、一つの釜でご飯も炊き、茶も点てるのは手元不如意の侘び人ならではであり、その意味で「茶飯釜」を究極の侘び茶と称えるむきもある。加えて、茶飯釜には普段と異なる準備が要求されるのも事実である。なにしろ、客の面前で飯を炊くのであるから。この二つが相まって、「茶飯釜」を神聖化する空気がある。曰く、究極のおもてなしである、と。この説には異を唱えたいが、それば別の機会に譲るとして、そう難しく考えない方がいいのでは?という提案である。春まだ浅き四月。冬の間大いにお世話になった炉に惜別の思いをこめ、「茶飯釜」で和気藹々と茶を楽しんではどうだろうか。大抵の不手際は飯が炊ける時のなんとも言えない香と音で忘れられてしまうことだろう(などど、期待してはいけないのだが)。