今日は「友の会」正会員様と、お連れ様。3名のお客様がご来庵下さりました。お稽古仲間とのことで、終始和やかに。お稽古仲間だからでしょうか、作法や点前について話が弾みました。
宗徧流では、懐石の酒盃は杯台に重ね、一番上の杯に露をはります。この作法は、宗徧流だけかと思っていたところ、他になさる流儀があることを会員の方からお聞きしました。それはさておき、なぜ露をはるのか。正確な理由はわかりません。
向付けが登場する以前の懐石では、四つ椀といわれ折敷に四つの椀が乗せられていました。手前の椀は、飯と汁。これは今と同じです。向こうの2つの椀にはなますなどの”菜”が盛られていました。そして、全ての椀には蓋がされています。運び出される椀にすべて蓋がされているのは、おそらくチリを嫌ったのではないかと察します。
とすれば、杯に蓋がないのは・・・ と、いうことで蓋の代わりに露をはったのではないかと推察する次第です。この露は杯を引く時に、下の杯に落とします。こうして、一番下の杯まで露が行き渡ることになります。これには、杯を清めるという意味もありそうです。水にさらされたものを清浄と感じる感覚が日本人にはあります。庭に水を打つのも、懐石の箸が濡れているのも同じ感覚です。
後座は照明を消して、自然光のなかでお客様をお迎えすることにしています。こうすることにより、道具がより美しく見えることと、なにより気持ちが落ち着きます。初座は御酒も入り和やかな空気ですが、中立から暗闇への席入で一旦気持ちを引き締めることができます。こうした薄暗闇、蝋燭の灯り、静寂のなかで濃茶を差し上げることを続けております。